2012年11月14日水曜日

明日はきっと今日より素晴らしい

先日、明日はもっと悪くなるというタイトルで、私以外の誰の励みにもならない文章を書いてブログにアップした。

誰の励みにもならないのは書く前から承知していたのだが、私自身が仕事に邁進するために必要な三大要素のうちのひとつである「危機感 - sense of urgency」をまとめておきたかったので許してください。

今日は三大要素のうちのもうひとつ、「未来予想 - a painting of the future」についてまとめてみたい。結論を先に言ってしまうとざっくりこんな感じになる。

明日はきっと今日より素晴らしい。
だから頑張ろう。

決して馬鹿にしてる訳でもふざけてる訳でもありません。以下、大マジメに書かせていただきます。

(1)明日が良いとか悪いとかを悩むこと自体が間違っている
人生には良いことも悪いこともたくさん起こるが、そうやって生きて行くこと自体に価値があると私は日頃から考えている(以前書いたことと矛盾していますが私の中に同時に存在していることなので許してください)
幸や不幸はもういい
どちらにも等しく価値がある
人生には明らかに意味がある
 これは業田良家氏の名作「自虐の詩」のラストのト書きである。



この漫画の主人公の幸江さんは、それはそれは絵に描いたように悲惨な家庭に生まれて悲惨な子供時代を過ごす。

大人になったらなったでヤクザの情婦に出世して・・・とまあこれまた絵に描いたように不幸(そう)な人生がこれでもかこれでもかと描かれるのだが、なんだか幸せ(そう)なんですよ幸江さん。

エンディングで、悲惨な学生時代を共に過ごした唯一の友達と涙の再会を果たすシーンがあるのだが、そのト書きが上記だ。生きていること自体が既にARTであるという、禅思想のような世界観がベースにあるように思う。

生きていくというのは覚悟のいることだ。何が起こっても降りるわけにも諦めるわけにもいかない。降りても諦めても行く先には必ずまた別の闘いが待っている。だったら「生きていくこと自体に価値がある」と信じて邁進したほうが楽しいじゃない?

という、まあ私の勝手な思い込みを最初に書いてみた。ああいかん、また誰の役にも立たないことを書いている。反省しつつ少し実利的なことを書いてみる。


(2)乱世にはパラダイムシフトが起こる=固定化された支配構造が揺らぐ
政治的には世界中がブロック化という名の帝国主義の再来に見舞われ、経済的には資本主義という約200年に渡って安定していた生産システムが終焉を迎えようとしている。

じゃあ次はどうなるんだ?

と考えれば、楽しいこと、やりがいのあること、夢のあること、儲かることなんていくらでも出て来るはず。

いまの学生は安定を求めて大企業や公務員を志望するらしいが、私にいわせれば数百年に一度という統治と生産システムの大変動が起こっているこの時期に、見直し時期が来ている旧弊なシステムにわざわざ組みこまれにいくのはちょっとリスクがあるのでは?と思ってしまう。

※大企業や公務員の明日がないと言っているわけではないので念のため。システムの在り方そのものが変貌している最中に、それに適応できていないことが明らかな一部の組織にわざわざ自分から組み込まれにいく感覚がよくわからない、と申しあげているつもりです。


(3)世界経済にリンクする仕組みを作っておく
経済ブロック化による大競争が世界中で始まっているわけだが、この神輿は「乗っかる」以外に方法がない。だったら上手く乗っかる方法を誰より早く考えて、誰より早く実行するしかない。

いくらシステムが変わるといっても、いまある資本力や組織力は有効なので、弱小資本の零細企業がまともに勝負して勝てないという状況は変わらない。ではどうするか?

大競争を行なっている大資本が直接投資しない領域に進出する、大資本の競争に資するサービスなどを提供するというのが、ひとつのわかりやすい解だと思う。

大資本は国境をまたがって活動するので、いくら零細企業といえども、その活動範囲に対応する能力を身につけておかなければならない。

となればやることはもう明確だと思う。危機感はたっぷりだが進むべき道は明確なので、私自身は何も不安がないし心配もしていない。

明日はきっと、今日より素晴らしいですよ!

2012年11月5日月曜日

明日はもっと悪くなる

昨日のこと。いま一緒にビジネスを企画している人に、なぜそんなに仕事ばかりしているのか?的なことを聞かれて以下のように答えた。

これが私の仕事の原動力(の一部)だ。私が抱えている危機感といっていいと思う。

(1)明日はかならず今日より状況が悪くなる
会社を創る以前から、たしかここ約8年ぐらいのあいだ、常に念頭から離れないテーゼがこれだ。いまさら言うまでもないことだが、ITとネットがもたらしたビジネススピードの激的な加速と世界的な経済ブロック化の潮流によって、この世の中で安泰なビジネスなど何一つなくなったと考えている。

私は約5年前まで東証一部上場企業の社員だった。その頃いつもあるイメージに囚われていた。「今年はまだ安定している会社が、翌年急に倒産間際まで追い込まれるような状況になる、そのうちきっとなる、たぶんあと3、4年後ぐらい、早く自分の場所を作らなきゃ」

何もせずに座っている限り、明日が今日より楽になることは絶対にないと信じている。


(2)世界レベルのアウトプットが出せない知的生産者は淘汰される
世界中で、若くて頭のいい人たちが必死に勉強している。印度人も中国人も一族の資金を結集して子供たちを留学させて世界最高の教育を受けさせている。そういう柔軟性も根性も教育レベルもまったく段違いの人材と勝負して勝てなければ生き残れない。

残念ながら私はそのレベルの教育を受けていない。いちおう国内のそれなりの偏差値の大学は出ているが、まあ世界レベルで比較したら居ないも同然だ。

さいわい、私はどうやら「視点」を持っているらしい、ということにあるとき気づいた。他人と同じ状況を見ていても私には違うものが見える。混沌とした状況を総括して次の課題を切り出すことにかけてはそれなりの能力がある。これは勉強した結果で持てる能力とは別のものだ。他人が持っていない能力に磨きをかけて闘うしかない、と考えている。


(3)世界をマーケットにできないビジネスは外資に潰される
まあこれは説明する必要もないでしょう。経済ブロックの域内では参入障壁が一切なくなるわけだから、資本力も人材もスピードも段違いの奴らが入って来たら、同じことをやってて勝てる訳がない。携帯電話が良い例。逆にこっちから攻めて出るぐらいの規模感と商材がなければ生き残れない。

こういう書き方をすると、なんだかジメジメめそめそハラハラどきどきしながら仕事してるようにも見えるけどむしろ逆。創造性を求められる仕事というのは、そう出会えるものではないので毎日がとても楽しい。

これが自分に合っているスタイルなんだろうなと思う。

結論:死ぬほど仕事してようやく現状維持が可能。そして世界にない新しいビジネスモデルが軌道に乗ったときに初めて少し楽ができる。

つまり、いま現在の私は、現状維持の仕事と世界で闘うための仕事を同時に進めないといけないフェーズだと考えている。遊んでる暇なんかない訳ですよ。因果な商売ですね、ベンチャーって。